私が中学3年生だったとき来てもらっていた家庭教師の先生に一人、こんな人がいた。
たとえわからない問題でも、習っていない問題であろうとも、何十分かけても良いから解き方を考えてみろ、と強要する人が。
たとえば初めてパソコンを触る人に、「じゃぁ一週間でマスターして」と言ったところで、果たして可能だろうか。
解説書を読んだり、出来る人に聞いたり、そうやって少しずつ勉強していっていつか「パソコンなんでも博士」みたいになればいいじゃないか。
そもそも教師とは、「子どもの師となり、自分の持つ知識を教えるもの」ではないのだろうか。無論知識とは勉学だけに限らないが。
そして私は考えた。
もし私が教師になったら、こどもの『顔』の読める教師になりたい、と。
この問題を解いてごらん、と言われた後の生徒の沈黙には二つあると思う。
『解けそうな問題を試行錯誤して考えている沈黙』と『まったくわからないのをぼーと眺めているだけの沈黙』
同じ黙っているでも、全然違うんですよねf^_^;
子どもの考える力を養うことが出来るのは前者だけ。後者はただただ時間を無駄にしているだけの、無為な行為だ、と思う。
今、実際に家庭教師という職業で教える立場に立ってみて、どれ程この2つを見分けるのが大変なのかを実感しました。私の今年度の目標は間違いなくこれです。
将来教師になれたとしても、みんなに好かれる教師にはきっとなれないと思う。完璧な人間なんていないから。
だから自分の嫌いな教師にだけはなりたくない。私みたいな小さな人間にすら嫌われるような人が、信頼される先生になれるわけない。
私は私の出会ってきた先生の、嫌なところを直して良い所を見習いたい。
一期一会。
今まで生きてきた18年間を無駄にしないためにも、私は日々、良い所を磨いていきたい。
などと電車男最終回を見ながら書いてみました(笑)